水戸地方裁判所土浦支部 昭和60年(ワ)146号 判決 1987年4月28日
原告
手塚幸一
被告
国
右代表者法務大臣
鈴木省吾
右指定代理人
岩田好二
三ッ木信行
桜井卓哉
川田武
日出山武
長山道雄
小山隆
平野秀夫
下蔵良一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一申立
一 請求の趣旨
被告は原告に対し金一四八万三五九九円及び別紙差額金一覧表記載の各差額金に対するそれぞれの支払日の翌日から支払ずみに至るまで年五分の割合、内金一〇〇万円に対する昭和六〇年九月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
原告勝訴で仮執行宣言が付された場合に担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二主張
一 請求原因
1 工業技術院の職員の任命権者は国家公務員法(以下、単に「法」という。)五五条一項、工業技術院設置法(以下、単に「設置法」という。)二条三項の規定により工業技術院長とされているが、同院長は法五五条二項の規定に基ずき工業技術院に置かれる公害資源研究所(以下、「研究所」という。)の職員のうち一般職の給与に関する法律(昭和六〇年法律第九七号による改正前の法律、以下、「旧給与法」という。)の適用を受ける行政職俸給表(一)(以下「行(一)」と略記する。)の五等級以下の職員の任命権を、昭和四〇年一月一六日以降研究所長に委任している(ただし、右改正法(以下、「改正給与法」という。)の施行に伴い工業技術院長は昭和六〇年一二月二一日以降行(一)五級以下の職員の任命権を研究所長に委任している。)。
2 原告は、大学卒業の学歴を有するもので、昭和四四年七月二八日付で工業技術院職員として採用され、同六〇年三月一日付で研究所総務部会計課業務主任に任命され、同年五月一日現在行(一)六等級一一号俸の俸給を受けているものである。
3 研究所は人事院規則九―八旧給与法別表第一行政職俸給表(一)等級別標準職務表上の管区機関であるところ、同規則三条及び同職務表によれば当時五等級は係長又は主任の職務に、六等級は主任の職務に各該当するものとされ、六等級から五等級に昇格させるには同規則二〇条一項二号、等級別資格基準表により必要年数一三年又は必要在級年数四年を有していなければならないとされている。
4 研究所総務部会計課における昭和五七年九月一日以降の主な昇任・昇格
(一) 高等学校卒業の学歴で昭和四三年四月一日付採用の行(一)六等級九号俸主計係古川健は昭和五七年九月一日付で管財係長に昇任し、行(一)五等級に昇格した。
(二) 右同学歴で昭和四四年三月一六日付採用の行(一)六等級九号俸契約係白川博三は昭和五八年五月一日付で契約係長に昇任し行(一)五等級に昇格した。
(三) 大学卒業の学歴で昭和四五年三月一六日付採用の行(一)六等級八号俸厚生係内田修は昭和五八年五月一日付で厚生係長に昇任し行(一)五等級に昇格した。
(四) 右同学歴で昭和四九年七月一日付採用の行(一)六等級六号俸人事係宮入豊は昭和五九年五月一日付で物品係長に昇任し、行(一)五等級に昇格した。
(五) 右同学歴で昭和四五年一〇月一日付採用の行(一)六等級八号俸予算係星野春次は昭和五九年五月一日付で契約係長に昇任し、行(一)五等級に昇格した。
(六) 高等学校卒業の学歴で昭和四四年四月一日付採用の行(一)六等級一一号俸主計係納は昭和六〇年四月一日付で主計係主任に昇任し、行(一)五等級に昇格した。
(七) 右同学歴で昭和四七年一〇月一日付採用の行(一)六等級七号俸予算係細川潤一は昭和六〇年五月一日付で物品係長に昇任し、行(一)五等級に昇格した。
5 原告は3項掲記の昇格の要件を備えている。しかるに、研究所長は原告を係長に昇任させず、前記職員らをいずれも昇格させたにもかかわらず原告の主張する時期に原告を六等級から五等級に昇格させなかった。
6(一) 原告が昭和五九年七月以来三戸総務部長等人事担当者に対し、原告を係長に昇任させない理由の説明を求めてきた交渉経過からすると右理由は大要以下のとおりである。
まず、原告は上司同僚との対人関係が悪いので部下の配置される係長として不適任であるということと、次に、原告が昭和五九年一月四日職場において蒙った傷害事件について事実究明のためとった措置が適切でなく対人関係に悪影響を及ぼし係長として不適任であるということの如きである。
(二) しかしながら、原告は多少寡黙ではあるが、上司同僚との間に意思の疎通を欠くほどではなく、又、原告につき職場における対人関係が悪いという事実はない。原告が昭和五九年一月四日職場において蒙った事件が軽微であるならば不問に付したのであるが、左肋骨を二本骨折させられ、顎にも傷害を受け、腕時計も損壊させられ、態様も悪質であったところから告訴に及んだので被害者として当然の措置であり、加害者である職員こそ非難さるべきである。研究所長は加害者に対し懲戒権を行使すべきであって、原告の措置によって職場における対人関係に悪影響を及ぼしたとして原告に不利益な判定をすることは不当であるといわねばならない。以上のとおりであって、研究所長が原告を係長に昇任させない前記理由は根拠のない言い掛りにすぎない。
7 研究所長が何故原告を係長に昇任させなかったかというと、まず
(一) 原告が研究所の職員団体「全商工」に加入せず、従って、賛助金を納めていないところから「全商工」の直接又は間接の圧力があった。
(二) 研究所において、昭和五九年一〇月一日付で総務部庶務課長が退職し、これに伴う関連人事で北海道石炭鉱山技術センターに配置換えとなることに応じなかった職員がいて人事につき何らかの影響があった。
(三) 人事院が行う俸給表の改定に際し、当時、係長になっていないと不利益を蒙る事情があったところから関係者において人事につき何らかの影響を加えた。
(四) その他不正な動機があった。
法二七条によれば、原告は昇任昇格につき他の職員と平等に取扱われるべきであるにもかかわらず、右(一)ないし(四)のような背景事情があって、研究所長が圧力に屈し影響に左右され、他の職員と差別して原告に不利益な処分をしたのであるから研究所長の行為が違法であることは明らかである。
8 昇任昇格は任命権者の自由裁量に属する事項であるとはいえ、任命権者の恣意に委ねられるものではなく関係法規に違反し、具体的妥当性を欠き不条理に亘る場合には裁量権を濫用し、その限界を超えたものとして違法となることは言を俟たない。
法七二条によれば、職員の執務につきその所轄庁の長によって定期的に勤務成績の評定が行われ、その評定の結果に応じた措置が講じられることとされていて、評定の結果は対象となった職員の等級号俸となって反映されることとなる。この評定の基礎となる事実判断は自由裁量行為といえる。ところで、昇任昇格についてその要件を充たすことが必要であるのは当然であるが、その主要なものは等級別資格基準表に定められた資格を有していることである。そして、すでに任命権者により定期的に評定を受けこれを反映した等級号俸にある者が等級別資格基準表に定める資格を有する以上、その者に対する昇任昇格を行う場合の自由裁量はおのずから限られ、自由裁量の対象となるのはその者の性格、対人関係、協調性等についてのみであるといえる。
被告は、昇任昇格についての任命権者の判断は当該組織の運営全体をも考慮して行う固有の自由裁量行為であると主張するが、前記のような職員団体その他関係者の意向をも考慮して行うということとなれば明らかに違法である。
9 研究所長は、前記古川健ほかの職員と比較して号俸が上位か同等であり、職務経歴も研究所総務部のほとんどの係を経験し、工業技術院会計課に併任され、広い見地から組織・業務内容の知識を有し、しかも学歴が上位である原告を前記古川健ほかの職員より先順位で昇任昇格させるのが当然である。
10 しかるに、前記のとおり研究所長が原告を係長に昇任させず、五等級に昇格させなかったのは、研究所長が裁量権を濫用しその限界を超えた違法な処分を行なったことにほかならず、法三九ないし四一条に該当する違法な事実関係によるものである。
11 研究所長の右処分がその職務に属し、右処分が研究所長の故意又は過失によるものであることは明らかであり、右処分によって原告は以下のとおりの損害を蒙った。
(一) 給与差額分の損害金四八万三五九九円
原告が昭和五七年九月一日付で行(一)六等級九号俸から行(一)五等級六号俸に昇格して昭和五七年九月分から同六〇年八月分までに得たであろう給与額からその間原告が現実に受けた給与額との差額は別紙差額金一覧表記載のとおり金四八万三五九九円である。
(二) 慰藉料金一〇〇万円
研究所長は、原告にとり非常に重要で生涯の生活にかかわる昇任昇格につき違法な処分を行い原告に対し精神的苦痛を与えた。右精神的苦痛を慰藉するに足りる額は金一〇〇万円が相当である。
12 よって、原告は被告に対し、国家賠償法(以下、「国賠法」という。)一条一項の規定に基づき金一四八万三五九九円及び請求趣旨記載のとおりの遅延損害金の支払を求める。
(民事訴訟法一三九条一項の申立)
研究所長は昭和五七年九月一日以降研究所総務部会計課職員につき判断をくだして昇任昇格を実施している。それにもかかわらず、国は、本件につき答弁書又は昭和六一年一月二一日付準備書面(一)において、昇任昇格の適法性に関する事実上の根拠を主張することなく、第四回口頭弁論期日において昭和六一年五月二七日付準備書面(二)をもって、はじめて右事実上の根拠を主張し、更に第六回口頭弁論期日において右主張に副う陳述書を提出したが右主張、陳述書の提出は、被告が故意又は重大な過失により時機に遅れて提出した攻撃防禦の方法であり訴訟の完結を遅延させるものであることは明らかであるから原告は被告の右主張の却下を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1項の事実は認める。
2 同2項の事実は認める。なお、研究所長は昭和六一年四月一日付で原告の職務の級を三級から四級(旧六等級から五等級)に昇格させた。
3 同3項の事実は認める。ただし、研究所の係長や主任の昇任は、任命権者が各職員の資格、学歴、経験、研究心、熱意、協調性、判断力、指導力等を総合的に検討し、当該組織の運営全般を考慮して行う任命権者固有の自由裁量行為である。なお、給与法が改正される以前において、昇格の要件としては、<1>昇格させようとする職務の等級がその職務に応じたものであること(人事院規則九―八の二〇条一項)、<2>昇格させようとする職務の等級について定められている等級別定数の範囲内であること(旧給与法八条二項、人事院規則九―八の四条二項)、<3>等級別資格基準表に定めのある職務の等級に昇格させる場合は定められた資格(必要経験年数又は必要在級年数)を有していること(人事院規則九―八の二〇条一項二号)、<4>昇格前の職務の等級に二年以上在級していること(人事院規則九―八の二〇条三項)が必要であるほか、<5>勤務成績が良好であることが明らかでなければならない(人事院規則九―八(初任給、昇格、昇給等の基準)の運用について(通知)・昭和四四年五月一日給実甲三二六「第二十条関係」1)。しかし、昇格について、一般原則である法三三条一項の内容や右<5>の要件の内容を具体化したり、その認定ないし選考方法を具体的に定める法律・規則等は存在しない。このことと各職務が各等級に格付けされ、昇格が昇任の一形態に位置付けられていることを併せ考えれば、いつどの職員をより複雑困難で責任の大きい職務に対応する上位の等級に昇格させるかという任命権者の判断は、狭義の昇任におけると同様に、固有の自由裁量行為というべきである。なお、右の各要件は、昇格に必要な要件であって、その要件を具備したからといって直ちに昇格が実施されるものでもなければ、昇格が保障されるものでもない。
4(一) 同4項(一)ののうち昭和五七年九月一日現在古川健が行(一)六等級九号俸であったとの点及び同日、同人が行(一)五等級に昇格したとの点は否認する。当時、同人は行(一)六等級一〇号俸であった。その余の事実は認める。
(二) 同項(二)のうち昭和五八年五月一日現在白川博三が行(一)六等級九号俸であったとの点及び同日、同人が行(一)五等級に昇格したとの点は否認する。当時、同人は行(一)六等級一〇号俸であった。その余の事実は認める。
(三) 同項(三)のうち昭和五八年五月一日現在内田修が行(一)六等級八号俸であったとの点及び同日、同人が行(一)五等級に昇格したとの点は否認する。当時、同人は行(一)六等級九号俸であった。その余の事実は認める。
(四) 同項(四)のうち昭和五九年五月一日現在宮入豊が行(一)六等級六号俸であったとの点及び同日、同人が行(一)五等級に昇格したとの点は否認する。当時、同人は行(一)六等級七号俸であった。その余の事実は認める。
(五) 同項(五)のうち星野春次が昭和五九年五月一日付で昇格したとの点は否認する。その余の事実は認める。
(六) 同項(六)のうち納が昭和六〇年四月一日付で昇格したとの点は否認する。その余の事実は認める。
(七) 同項(七)のうち昭和六〇年五月一日現在細川潤一が行(一)六等級七号俸であったとの点及び同日、同人が昇格したとの点は否認する。その余の事実は認める。
原告が主張する古川健ら七名が係長又は主任に昇任すると同時に行(一)五等級に昇格した事実はなく、昇任後一定期間経過後に昇格したものである。
5 同3項のうち原告が当時、等級別資格基準表に定める資格を有していた事実及び研究所長が原告を係長に昇任させず、原告の主張する時期に原告を六等級から五等級に昇格させなかった事実は認める。
6 同6項(一)のうち昭和五九年七月当時三戸総務部長と原告との間で原告が主張するような交渉が行われた事実は認める。
同項(二)の事実は否認する。原告が主張する事件は、御用始めが済んだ後の飲酒歓談の席で原告が泥酔して転倒したりしたので、近くにいた職員が介抱して、国鉄荒川沖駅まで送ったというものである。当日、原告が何らかのけがをしたり携帯物が毀損したようなことがあったとしたら、右転倒の時などに生じた自損事故である。しかし、原告は当日他の職員から暴行を受けたと思いこんでいたようでありその後警察・検察庁・検察審査会の判断に従い認識を改める様子は見られない。介抱してもらった職員や当日顔を合わせてもいない職員、さらには当日荒川沖駅でたまたま乗車したタクシーの運転手までもを共犯者として告訴に及ぶなど常識では理解し難い態度である。
7 同7ないし11項の主張事実は争う。
(一) 原告は、研究所長が原告を係長に昇任させず、また昭和五七年九月一日以降原告が主張する時期に原告を六等級から五等級に昇格させなかったのはその裁量権の限界を超えこれを濫用した違法な行為である旨主張し、更に、研究所長が原告をそのように昇任昇格をさせなかったのは、研究所長が法三九ないし四一条に該当する事情に動かされたことによると主張している。このように、任命権者が原告を昇任昇格させなかったことが違法であるとして国賠法一条一項の規定に基ずき被告に対し損害賠償を求めるものであるから本訴は、任命権者の「不作為」の違法を主張するものと解される。
(二) もとより、不作為であっても、作為の場合と同様に、それが違法の評価を受けるものであれば、国賠法一条一項による損害賠償の請求を妨げられない。原告は、右不作為の違法の事由として、法三九条ないし四一条に該当すると主張するが、右主張に沿う具体的な事実を主張しない。また、背景事情として主張する事実についても、具体的事実を主張しないし、その根拠もない。したがって、不作為が国賠法上違法になるのはどのような場合かという問題を考えるまでもなく、原告の本訴請求は主張自体失当である。
(三) 国賠法上の違法性は、公務員としての行為規範違反、すなわち職務上の義務違反と考えるのが妥当であり、しかも、その「職務上の義務」は、単なる内部的な義務(公務員法上の義務)では足りず、個別の第三者(本件では原告)に対して負う職務上の義務でなければならない。そして、国賠法上不作為が違法となるためには、民法上の不作為の場合と同様に、当該公務員に作為義務が存しなければならないことはいうまでもない。結局、公務員の権限不行使が国賠法上違法となるのは、当該公務員が個別の第三者に対し職務上の作為義務を負っているにもかかわらず、その作為義務に違反して権限を行使しなかった場合に限られることになる。ところで、職員の昇任昇格を行う任命権者の権限は任命権者の当該組織の管理運営の権限の本体を構成する固有かつ基本的な権限である。したがって、そのような性格からも、職員の昇任昇格に関する任命権者の判断は、各職員の資格、学歴、経験、研究心、熱意、協調性、判断力、指導力等を総合的に検討し、当該組織の運営全般を考慮して行う自由裁量行為というべきである。このように、権限の行使が当該公務員の自由裁量にゆだねられている場合には、一般的には、右公務員に個別の第三者に対する作為義務はない。どのような場合に、任命権者の権限行使が義務化するかについては、様々な見解があり得る。しかし、違法性の評価はすぐれて規範的なものであるから、いずれの見解によっても、判断に当たっては、権限不行使の前後にわたる一切の事情を評価対象とし、権限の行使を当該公務員にゆだねた法の趣旨、権限の性格、裁量の幅の大小などを総合的に検討し、組織の運営全般を考慮してこれをしなければならない。昇任昇格をする権限は、任命権者の管理運営権の本体を構成する固有かつ基本的な権限であり、その行使によって対象となった職員に積極的に利益を与えるものである。したがって、任命権の行使が個別の職員との関係で義務化するのは、右任命権の固有性・裁量性を理由にこれを行使しないことが右権限の付与の趣旨・目的、ひいては立法者の意思に明白に反するような極めて特殊例外的な場合に限られるといわなければならない。そして、本件の任命権不行使については、右のような特殊例外的な場合に当たると解すべき余地は全くない。
(四) 原告は、結局、任命権者である研究所長が原告を前記のように昇任昇格させなかった判断の不当を主張するに過ぎないというべきである。そうとすれば、以下に述べるとおり、研究所長の右権限不行使には何らの違法性もなく、原告の主張は失当である。研究所の職員のうち、行(一)五等級以下の職員の任命権は昭和四〇年一月一六日以降研究所長に委任されている。昇任についてみると、研究所における一般的な係長(総括的業務を行う係長を除く。)の職務は、上司の命を受けて係の所掌業務を処理することであるがその職務の実体は、係の事務として命じられた事務について、事務を整理し、係員を指導・監督すること、課の幹部として事務の一体的な運用に努め、課の事務運用に意見を述べること、その他係員の意見を聞くことなどである。他方、主任の職務は、命を受けて係の業務の一部を分掌することであるがその職務の実体は、係の特定の業務に専念することである。このような職務内容を有する係長にいつ誰を昇任させるかという任命権者の判断は、前記のとおりきわめて広範な自由裁量行為である。そして、昇任については昇格のように、法律・規則等により直接何らかの資格が要求されることもない。したがって、原告をその主張の時期に係長の官職に昇任させなかったとしても、そのような任命権の不行使が違法となる余地はないというべきである。次に、昇格についてみると、職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度合に基ず(ママ)き俸給表に定める職務の等級に分類され、その分類の基準となるべき標準的な職務の内容は、人事院規則九―八別表第一の等級別標準職務表に定められている。右分類は、直接的には給与についての分類であるが、法二九条五項によって、その職務の分類(俸給表の種類と等級)は職階制の計画とみなされ、昇格は同時に任用制度上の昇任の一場合とされている。
以上を前提にすれば、いかなる六等級の職員をより複雑困難で責任の大きい職務内容に対応する五等級に昇格させるかという任命権者の判断は、昇任の場合と同様に、広範な自由裁量行為というべきである。なお、この昇格をなし得るためには前記のとおりの要件が必要であるが、その要件を具備したからといって直ちに昇格が実施されるものでもなければ、昇格する権利が保証されるものでもない。したがって、原告をたまたまその主張の時期に五等級に昇格させなかったとしても、そのような任命権の不行使が違法となる余地はないというべきである。
第三証拠
本件記録の書証目録、証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 (民事訴訟法一三九条一項の申立に対する判断)
被告が本件第四、第六回各口頭弁論期日において原告が主張する昭和六一年五月二七日付準備書面を陳述し、陳述書を提出したことは本件訴訟の経過上明らかであるが、いずれも訴訟の経過に鑑み、、時機に遅れて提出された攻撃防禦方法と認められず、原告の申立は採用することができない。
二1 請求原因1ないし3項の事実は当事者間に争いがない。なお、国家公務員法、旧給与法、人事院規則、通達等の関係法規によれば、給与法が改正される以前において、昇格の要件としては<1>昇格させようとする職務の等級がその職務に応じたものであること(人事院規則九―八の二〇条一項)、<2>昇格させようとする職務の等級について定められている等級別定数の範囲内であること(旧給与法八条二項、人事院規則九―八の四条二項)、<3>等級別資格基準表に定めのある職務の等級に昇格させる場合は定められた資格(必要経験年数又は必要在級年数)を有していること(人事院規則九―八の二〇条一項二号)、<4>昇格前の職務の等級に二年以上在級していること(人事院規則九―八の二〇条三項)という要件が必要であるほか、<5>勤務成績が良好であることが明らかでなければならないこと(人事院規則九―八(初任給、昇格、昇給等の基準)の運用について(通知)・昭和四四年五月一日給実甲三二六「第二十条関係」1)が認められる。
2 同4項の(一)ないし(七)のうち古川健ら七名がそれぞれ原告の主張する時期に係長又は主任に昇任した事実は当事者間に争いがなく、(人証略)の証言及び弁論の全趣旨によれば、古川健ら七名は右昇任と同時に六等級から五等級に昇格したのではなく約六、七ヵ月から一年程度の一定期間経過後に六等級から五等級に昇格した事実が認められる。
3 同5項のうち原告が当時、等級別資格基準表に定める六等級から五等級に昇格するための資格を有していた事実及び研究所長が原告を係長に昇任させず、原告が主張する時期に原告を六等級から五等級に昇格させなかった事実は当事者間に争いがない。
三 ところで、国家公務員法、旧給与法、人事院規則、通達等の関係法規によれば、給与法が改正される以前の国家公務員の任用制度においては、一般職の職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度合に基ずき俸給表に定める職務の等級に分類され、その分類の基準となるべき標準的な職務の内容は、人事院規則九―八別表第一の等級別標準職務表に定められていること(旧給与法六条三項)、右分類は、直接的には給与についての分類であるが、職階制が実施されていないため、法二九条五項により職階制の計画とみなされ、人事院規則八―一二の八一条により従前の例によることとされて、昇格は広い意義での昇任の一態様として取扱われてきたものであること(人事院事務総長通達任企三四四の五条および八十一条関係(2))、昇任及び昇格を含む職員の任用は、国家公務員法及び人事院規則の定めるところにより、その受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基ずいて任命権者がこれを行うものであり(法三三条一項)、昇任及び昇格の方法は競争試験又は選考によるものとされていること(法三七条一、二項)、昇任についてみると、人事院規則八―一二の八五条二項所定の官職(各省庁の課長等と同等以上の官職)以外の官職についての選考は、任命権者が選考機関としてその定める基準により行うものとされていること(同規則八―一二の九〇条一項、前記人事院事務総長通達四十二条、四十五条および九十条関係)が明らかであって、以上によれば、昇任の選考は、当該組織の管理運営の権限と職責を有する任命権者が各職員の資格、学歴、経験、資質等を総合的に検討し、職員の能率が充分に発揮、増進されるべく、かつ、当該組織の運営全般を考慮して行う固有の裁量に属する行為であると解すべきである。
昇格については、前記のとおりであるところ、法三三条一項の規定及びこれに基ずく通達にいう勤務成績の内容を具体化したり、その認定ないし選考方法を具体的に定める法律、規則等は存在せず、加えて各職務が俸給表の各級に格付けされ、昇格が昇任と同様に広義の昇任の一形態とされていることを合わせ考えれば、前示の各要件を備えた職員のうちの誰をどの時期に、より複雑困難で責任の度の大きい職務に対応する上位の等級に昇格させるかという判断もまた任命権者の固有の裁量に委ねられているものと解すべきである。
四 そこで、研究所長が原告を係長に昇任させず、昭和五七年九月一日以降原告が主張する時期に原告を六等級から五等級に昇格させなかったことが裁量権の限界を超え、これを濫用した違法な処分であるか否かにつき検討する。まず、原告は法三九条ないし四一条に違反すると主張するのであるが右主張に沿う具体的事実を主張しないのでその事実を認めるに由なく、主張自体失当であり、右主張に沿う事実を認定するに足りる証拠もない。また、背景事情として主張する事実については、成立に争いのない(証拠略)及び原告本人尋問の結果中右主張事実に沿う記載・供述部分は措信することができず、他にこの点に関し的確な証拠はないので、右主張はその事実を認めがたい。
原告が昭和六〇年三月一日付で研究所総務部会計課業務主任に昇任した事実は前記のとおり当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、研究所長が昭和六一年四月一日付で原告の職務の級を三級から四級(旧六等級から五等級)に昇格させた事実が認められ、右各事実に、前記古川健ら七名の昇任昇格の事実関係を対比してみる限り、研究所長が原告に対する昇任昇格につき裁量権の行使を誤ったものとただちには認めがたく、その他、研究所長が原告を係長に昇任させず、昭和五七年九月一日以降原告が主張する時期に原告を六等級から五等級に昇格させなかったことが、裁量権の限界を超え、これを濫用した違法な行為であると認めるに足りる証拠はない。
五 以上のとおりであって、原告の本訴請求は、爾余の点につき判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 高瀬秀雄)